徳島家庭裁判所 昭和50年(家)670号 審判 1978年8月16日
申立人 川村千代子
相手方 小林久美子
主文
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理由
第1申立の趣旨および実情
1 申立の趣旨
被相続人小林忠治郎の遺産につき適正な分割を求める。
2 申立の実情
(1) 被相続人忠治郎は昭和三一年一一月二六日死亡し、相続が開始した。その相続人は妻キヨノ、長女金田タツ子、二女高田ヒデ子、三女村田トミ子、四女小林久美子(相手方)、五女川村千代子(申立人)である。
(2) 被相続人の遺産は別紙目録記載(1)~(15)の不動産である。
(3) そして被相続人名義であつた別紙目録(1)~(14)の土地については、いずれも昭和三二年八月六日付で相手方に相続による所有権移転登記がなされてしまつている。しかし、この所有権移転登記は相続人間の遺産分割協議にもとづいておこなわれたものではないし、相手方への単独相続登記手続申請は他の相続人の「相続分がない証明書」を添付してなされたものであるところ、申立人は被相続人から相続分に等しい生前贈与を受けていないから、その証明書の内容は虚偽であり、同証明書の申立人の署名捺印は何人かが偽造したものである。従つて上記相手方への所有権移転登記は無効であるので、被相続人の別紙目録記載の全遺産につき分割審判を求める。
第2相手方の主張
(1) 被相続人は農業に従事していたが、自作地は別紙目録(6)の田のみで、それ以外に別紙目録記載の農地五反八畝を小作していたところ、戦後の農地改革により、別紙目録(6)(15)を除く小作地全部の売渡を受けた。売渡を受けた農地の買受代金は昭和二二年二月相手方と結婚し被相続人と同居していた相手方の夫小林健一が大工仕事により得た収入で支払われた。このように別紙目録(6)以外の土地は小林健一の出損で取得したものであるが、小作人名義が被相続人であつたため、当時被相続人名義に所有権移転登記がなされたにすぎぬもので、実質上の所有者は小林健一である。
(2) そして被相続人の死亡後相続登記をするに際して、前記の如き関係から被相続人の実質的な遺産は別紙目録(6)の土地のみであり、しかも同農地は湿地田の一毛作で、価格も低かつたため、全相続人間に、同土地を含む別紙目録(1)~(15)の物件を全部相手方に単独取得させるとともに、相手方において母キヨノの老後をみ、祖先の祭祀を承継することに意見が一致した。これにもとづき、相手方以外の各共同相続人は民法九〇三条のいわゆる「相続分ない証明書」に各自の印鑑証明書を添えて相手方に交付し、昭和三二年八月六日付で相手方に所有権移転登記がなされたもので、今日まで誰もこれに異議をはさむ者はなく、相手方は取得した遺産を支配してきた。
(3) 従つて相続分なき証明書の内容が真実に反していたとしても、共同相続人の意思は自己の相続分を相手方に贈与し、被相続人の遺産を相手方の単独名義にすることを承諾したものであるから、これにより相手方はその所有権を取得したものである。
第3当裁判所の事実調べ、家庭裁判所調査官の調査ならびに当事者審問の結果等によると次の事実が認められる。
(1) 被相続人忠治郎(明治一九年二月一四日生)は自宅近くの塩浜で人夫をした後、三五歳頃から農業に従事してきた。昭和三年に買得した別紙目録(6)以外の農地は全部小作地であつたが、当時○○町の農地は海水の塩が入り、収穫の乏しい一毛田であつたため、ずつと貧困生活を続け、昭和三一年一一月二六日脳溢血で死亡した。
(2) 被相続人は大正三年に結婚した妻キヨノとの間に七人の子供をもうけたが、長男、二男は今次大戦で戦死し、相続開始当時の相続人は妻キヨノ、長女タツ子、二女ヒデ子、三女トミ子、四女久美子(相手方)、五女千代子(申立人)であつた。相続人のうち長女タツ子は昭和一〇年金田清吉、二女ヒデ子は昭和一三年高田秀信、三女トミ子は昭和二〇年村田真太郎とそれぞれ婚姻して家を出たので、戦後は被相続人夫婦と四女久美子、五女千代子姉妹が別紙目録(15)の建物に同居していた。
(3) 相手方は高小卒後家の農業を手伝つていたが、昭和二二年二月南健一と妻の氏を称する結婚(昭和二四年二月二六日届出)をした。夫健一は被相続人夫婦との間に養子縁組をしなかつたが、事実上の養子として迎えられ、被相続人夫婦と同居した。夫健一は三人を傭つて請負大工をし、他は農業であつたが、前記のとおり田に海水が入りこんで全く不作の時もあり、貧農を続けてきたところ、戦後自作農創設特別措置法の施行による農地改革により、昭和二五年小作地約五反が政府売渡として払い下げられた。当時被相続人は賃借中の別紙目録(8)の宅地(当時の登記簿上の表示は○○町字○○○○××番の×田七〇坪)上に同目録(15)の建物を所有(未登記)し、それ以外が農地であつたが、別紙目録中(6)(15)を除く全物件が自作農創設特別措置法による政府売渡の対象となり、売渡代金三、〇〇〇円は当時貧農で被相続人に現金がなかつたため、戦後の建築隆盛時で現金収入を得ていた相手方の夫健一が全部出した。しかし小作人名義は被相続人となつており、健一は大工職で合間に農業もしていたが、農業継承者と目される地位にいなかつたので、被相続人が自創法一六条の規定による買受適格者として買受の申込をなし、政府は被相続人に対し上記小作農地の売渡を受ける者として売渡処分を決定し、別紙目録中(6)(15)を除く全物件につき昭和二五年被相続人名義に所有権移転登記がなされた。
申立人は昭和二六年三月○○中学校を卒業し、引続き自宅にいて洋和裁、編物の勉強をしたり、農業の手伝をしていた。別紙目録(15)の建物は中二階構造であつたが、当時二階は使用されておらず、家族は一階だけで生活し、間取は四畳(表玄関間)、四畳(台所)、六畳、八畳(奥間)で、被相続人夫婦と申立人は奥八畳間、相手方夫婦は奥六畳間に起居し、申立人は日常母キヨノを頼りにしていた。
(4) そして昭和三一年被相続人の死亡による相続が開始し、その遺産は別紙目録(1)~(15)の物件であるが、同目録(1)~(14)の土地については昭和三二年八月六日付で相手方に相続による所有権移転登記(徳島地方法務局同日受付第八三八八号)、同目録(15)の建物については未登記であつたので同日付で相手方名義に所有権保存登記(同日受付第八三八九号)がなされ、相手方単独所有の相続登記は母キヨノ、姉タツ子、ヒデ子、トミ子および妹千代子名義のいわゆる特別受益があることにより相続分がない旨の証明書にもとづき、当該相続人の印鑑証明書を添付しておこなわれた。
(5) 上記各遺産が相手方名義に単独登記された経緯は次のとおりである。
相続開始後遺産分割の協議もなされないまま半年余を経過した昭和三二年七月頃被相続人の妻キヨノが相続登記手続を早くすませないと無効になるとの話を聞いてきた。これが発端となつて被相続人の遺産分割が急に話題にのぼり、当時生計の中心であつた相手方夫婦と母キヨノ、長姉金田タツ子らが主に相談した結果、(イ)別紙目録(1)~(14)の物件は登記簿上被相続人名義であるが、同目録(6)を除く物件はいずれも相手方の夫健一が自創法による売渡代金を出して取得したもので実質的には健一の所有であり、実際上遺産分割の対象となるのは同目録(15)の建物と同(6)の農地のみであり、全農地は塩害地で価値が低く分割するに値しない状態にあること、(ロ)被相続人夫婦は農業に従事していたが、四女久美子を後継者に決め、夫健一を事実上の養子に迎えたのであるから、いわゆる跡取として、相手方において遺産全部を取得するとともに、先祖の祭祀を承継し、母キヨノの老後を扶養することが望ましいとの結論に達し、被相続人の遺産は全部相手方の単独名義に登記することに意見が一致した。そして母キヨノ、金田タツ子らが他の相続人に個別に了解を求めた結果、他の相続人は当時遺産の価値がないことを知つており、高田ヒデ子、村田トミ子も被相続人の遺産を跡取である相手方の単独名義に登記することが当然と考え、これに同意を与えた。そして当時すでに相続放棄の申述期間が経過していたので、相手方は叔父小林治夫より紹介を受けた司法書士○○○の助言により、別紙目録(1)~(14)の物件についてはいわゆる相続分なき証明書を作成して相手方名義に単独相続登記をすることにした。当時相続分なき証明書を添付した相続登記の申請をするには印鑑証明書を提出する必要があつたので、各相続人はそれぞれ印鑑登録をすませ、母キヨノ、金田タツ子、高田ヒデ子、村田トミ子は相手方より前記証明書の作成を依頼されて、各自これに署名捺印のうえ、印鑑証明書を添えて相手方に直接交付あるいは郵送し、相手方が申立人名義の相続分なき証明書および印鑑証明書とともに前記○○司法書士に提出して登記手続申請を委任し、別紙目録(1)~(15)の物件について前記のとおり相手方単独所有の相続登記(あるいは保存登記)を完了した。
(6) 申立人作成名義の相続分なき証明書について、相手方は申立人の了解を得て作成されたと言い、申立人はこれを強く否定し、何人かが無断で作成したものであると主張する。相続登記後母キヨノ、三女村田トミ子が死亡し、長女金田タツ子、二女高田ヒデ子は現在においても被相続人の遺産を相手方の単独所有とすることについて当時全相続人が納得したと述べ、その後一八年間相手方の単独所有登記について誰からも何らの異議の申出がなかつたにもかかわらず、昭和五〇年六月に至り、突如として、申立人は当時満二一歳の世間知らずで、相手方を後継者として相続登記をするとか、印鑑を買い徳島市役所○○支所で印鑑登録をし印鑑証明書の交付を受けたとか、相続分なき証明書などの登記の書類を見たとか、書類に印を押せと言われたとかについて全く知らないと申し立てたものである。しかし人間の記憶に限界がある以上、現時点において相手方に対し申立人が前記単独相続登記に同意し、相続分なき証明書を作成した経緯について逐一立証を求めることは不可能を強いるものであつて、ある程度の推測はやむを得ない。わずかに当裁判所の事実調査の結果、徳島市役所○○支所に相続登記当時の昭和三二年七月二二日母キヨノ、申立人、相手方より同時に申請された各印鑑登録届の原本が保存されていることが判明した。そして相手方は当時母キヨノと申立人は印鑑を買い求めたうえ、二人で同支所に印鑑届出をしたはずと供述したが、上記印鑑登録届の小林久美子、小林キヨノ、小林千代子の文字は同一人の筆跡であり、これと当裁判所が昭和五二年一一月一四日の審問において、相手方に手記を命じた小林久美子、小林キヨノ、小林千代子の文字の筆跡とを対照すると、全く同一であることが肯認できるので、相続登記の当時、申立人および母キヨノの印鑑登録届については、相手方が自己の印鑑登録届と同時になし、少くとも同届の申立人および母キヨノの届出を代筆していることが明らかである。しかしこの事実から相手方が当時母、申立人と同道して同支所に赴いたのか、または代理届出をしたのか、あるいは逆に無断で申立人の印鑑届出をしたのか、いずれとも速断し難く、単に相手方の前記記憶は事実に反していたことが判明するのみであり、他に当時の客観的資料は廃棄等により滅失してしまつている。思うに、健一を事実上の養子に迎え、相続開始当時すでに家計を差配していた相手方のみが相続人中被相続人の祭祀を承継し、母キヨノの老後の面倒を見れる状態にあつたことは疑いの余地がなく、農業後継者が遺産を単独相続する事例は広く見られるところである。しかも本件遺産は塩害を受けて当時二束三文の価値しかなく、その後における地価の高騰など夢想だにされなかつたもので、むしろ相手方は母や姉達から家の後を継いで農業をしてくれと泣きつかれ、収穫の乏しい農家を引き継ぐことに同意したのである。このような事情からすれば、相手方としては当時申立人名義の相続分なき証明書を偽造してまで遺産を単独名義に登記するさしせまつた必要はなかつたと考えられる。そして登記のなされた昭和三二年当時申立人は母キヨノ、相手方らと同一家屋内で起居を共にし、事実上相手方の扶養を受け、いずれ結婚して家を出ることが予測されたから、相手方より本件遺産をその単独名義に登記することについて同意を求められたならば、頼りとする母キヨノも同調している以上、これを拒否することはできず、これに同意を与えたものと見ることが合理的である。また当時相続登記の申請に際しすでに成人に達していた申立人の相続分なき証明書の作成および印鑑証明書が必要なことは自明であり、登記手続を申立人に隠し立てする必要は全くなかつたのであるから、同一生計で毎日顔を合わしている間に、申立人はいくら若年とはいつても、当然母キヨノらを通じて本件遺産を相手方に単独取得させる話を聞かされたものと見ることの方が自然である。そして申立人は昭和三七年一一月川村一郎と結婚したが、夫一郎の砂利販売業に対して相手方は昭和四三年秋までに一〇〇万円以上の融資するなどの援助をし、その返済は現在までなされておらず、申立人は後記のとおり昭和三九~四〇年頃に相手方への単独相続登記を初めて知らされたと供述するけれども、昭和三九年以降相手方が別紙目録記載の遺産の一部を他に売却しているのを知りながら、昭和五〇年六月に至るまで同登記について何らの異議の申出をしなかつた。以上の事実からみると、結局のところ、被相続人の遺産について相手方が単独取得し、登記方法として相続分なき証明書を作成することについては、申立人も他の相続人とともに同意したとの趣旨の相手方の供述は信用できるものと考える。これに反し、申立人の「昭和三九~四〇年頃母から農地等は全部を久美子名義に登記したと初めて聞かされた。母は自分(母)の相続分は申立人にやりたかつたが、黙つて登記して悪かつたと謝り、私(母)が死んだ後土地がほしい時に出る所へ出てしなさいと言つてくれた」との趣旨の供述は、むしろ不自然であり、信用できない。従つて申立人名義の相続分なき証明書は、相手方の供述通り、申立人の同意の下に作成されたと認めるのが相当である。
第4当裁判所の判断
(1) 以上認定の事実によれば、申立人を含む相手方以外の共同相続人名義の相続分なき旨の証明書が作成された昭和三二年八月頃、被相続人の遺産につき全相続人間において有効な遺産分割協議がなされたものとみるべきで、相手方を除くその余の相続人は遺産に対する共有持分権の放棄あるいは贈与をなすことを合意し、その結果、被相続人の全遺産は相手方の単独所有になつたものと認められる。
(2) なお昭和三二年八月六日付の相手方への相続による所有権移転登記は前記のとおり相手方を除く相続人が被相続人からすでに生前贈与を受けているので、被相続人の死亡による相続については相続する相続分がない旨のいわゆる相続分なき証明書(実務上特別受益証明書、相続分皆無証明書ともいわれる)を申請書に添付してなされたが、相手方以外の各相続人は実際には被相続人より贈与を受けておらず、証明書の記載内容は真実に合致していない。特別受益を何も受けていないのに内容虚偽の相続分なき証明書を作成し、これにより相続登記がなされることは登記実務において広くおこなわれているが、後に紛争の原因となつた事例も少なくない。この証明書の効力について、共同相続人間に当該遺産につき単独所有に帰せしめる旨の合意が存したとしても、このような合意は実質的には相続分の放棄を内容とするものであるから、相続放棄申述手続の回避手段として、この証明書にもとづき単独相続登記を許すことは、相続人間の紛争を一層複雑にし、好ましくないとして、内容が虚偽である以上、仮に誰か一人に相続させようとする趣旨に出たものとしても効力がなく、改めて遺産分割協議ができるとの考えもある。しかし遺産分割の協議にはなんら特別の方式が要請されているわけではなく、相続分なきことの証明書による単独相続登記の方法が分割協議の便法として登記実務上多用されている現状を考えると、仮に証明書の記載内容どおりの生前贈与がなくても、登記に先立ち本件のように相続人間に遺産を全部相手方の単独所有に帰せしめる旨のはつきりとした意思の合致があつた以上、これにより実質的な遺産分割協議がなされ、その過程で遺産に対する共有持分権の放棄又は贈与(ないしは自己の取得分を0とする分割協議ないし相続分の譲渡とも解せられよう)がなされたものとみうるから、相続分なき証明書による単独相続登記についてこれを無効とする必要はない。
(3) そうだとすれば、被相続人の遺産についてはすでに遺産分割協議が完了し、もはや分割すべき相続財産は存しないといわねばならないから、本件申立はその余の判断をするまでもなく失当である。よつて本件申立を却下し、申立費用を申立人に負担させ、主文のとおり審判する。
(家事審判官 藤田清臣)
別紙<省略>